目利き人がえらんだ
ウマい魚が食べられるサカナ屋

Historyヒストリー

毎日、魚にさわって40年。
魚秀の歩み

01

目利き人、
松島秀夫

17歳の時、おもしろくなかった高校を中退して、熊本から酒屋の店主の紹介で神戸に。酒屋に就職するつもりだったが、連れて行かれたのは魚屋「永井商店」。大将に「今日から、お前住み込みや。その辺洗っとけ。」と言われる。ウソのような話ですが、これが魚秀の始まりだった。

02

大将の真似を
し続けた。

下積み

その時代、1日に10万人が通る最盛期の湊川商店街にある高級鮮魚を取り扱う魚屋。一般消費者、近隣はもとより兵庫県下の飲食店オーナーが買い付けにきていました。

大将の永井みきおも10代の頃から魚を触っている、魚が好きで好きでたまらない人だった。そんな大将の真似をして魚に触り続け、5年ほど経つとお客さんから指名が来るようになった。「あのお兄ちゃんに魚見てもらって。」と言われるように。その頃から、仕入れに連れて行ってくれたり、大将に色々なことを教えてもらえるようになる。

03

受け入れられなかった
日々。

独立、開業

魚屋「永井商店」に14年間勤務を経て31歳の時に独立。選んだ場所は神戸市北区の有野団地の商店街で、妻と2人で魚秀をスタート。

最初はなかなか受け入れられなかった。北区には魚屋自体が少ない為にお客さんの水産物購買意識も低く、ましてや高級活魚など受け入れられなかった。街の人は安い魚を求めており、2軒あった魚屋も1軒が価格競争の末に撤退。

04

良い物は絶対売れると
信じ続けた

成長期

そんな状況の中、少しずつだが、いい物を求めるお客さんが口コミで増えていく。

そして、更なる購買層を求めてエコール・リラ藤原台の専門店街に移転。そこでも、「絶対いい物は売れる」と信じて続けた結果、徐々に口コミで広がり、近隣のお客様はもちろんのこと、神戸、西宮、宝塚、芦屋、大阪北部など様々なエリアからお客様が来るようになりました。メンバーも4、5人に増え、10年間の忙しいバブル期を営業して、現在の有野町二郎に移転する。

その後、2006年には同じエリアの北区八多町に「鮨・活魚料理 松しま」、2011年には姉妹店「魚秀 コアキタマチ店」を神戸市北区日の峰にオープン。

05

親から子へ、
技術の伝承。

神戸北区から都心へ

目利きの技、さばき方、加工技術、培って来たものを息子へ全て託す。口で言って伝わるものではない。湊川商店街での大将の真似を毎日毎日していたように、息子ひろきは同じように父、秀夫の真似をして、毎日魚にさわり、買っては食べ、買っては食べを繰り返す。ようやくお客様に良いものを伝えることができるように。父の背中はまだまだ遠い。

06

新しい世代に、
本当に良いものを
伝えたい。

Sakanaya UOHIDEオープン

魚離れの現代。新しい世代にも、本当に良いものを伝えたい。デジタル時代に、あえて人と人とのつながりや、魚を説明してもらえるお店にしたいという想いから2017年、神戸の北野に新しいコンセプトの魚屋「さかなやUOHIDE」をオープン。父秀夫から息子ひろきへ伝承したように、神戸北区から都心部の三宮北野の新しい世代の人たちへ本物を伝えたい。その先には、まだ本当に旨い魚を知らない海外の人たちへ。